また彼らが…、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。[ヘブル8:11]
砂糖と塩は見た目はよく似ています。どちらも白く、細かい粒でできています。口に入れてみるまで、どちらが砂糖で、どちらが塩かは分かりません。砂糖か塩か、外から見た目だけで判断するのは、舌で味わって内側で判断するより、はるかに困難です。神に対する知識もこれと同じです。外から入ってくる知識は、在り来たりのものであり、内にある知識は確かなものです。神が私たちの中でご自身を味あわせてくださるときはいつも、言葉にできないほどの喜びがあります。『主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は(詩篇34:8)』。私たちが神様を味わうとは不思議な言い方ですが、これは真実です。『一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで…(ヘブル6:4-5)』。この御言葉は、霊的なものであっても、実際に味わうことができることを示しています。新しい契約の特徴として、霊的なもの、神ご自身までをも私たちが味わい知ることが許されています。ですから、神に感謝しようではありませんか。なんという祝福でしょう。なんと光栄なことでしょう。ハレルヤ!
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