何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。[ピリピ4:6]
なんの思い煩いもないキリスト者というのは、私は滅多に会いません。ほとんどすべての方はたくさんの心配事で押し潰されそうになっています。7人の息子を持つ母親がいました。この母親はこう述べました、『私はこの息子たち全部が無事に成長して、救われるまで、皆のことが心配で心配で、死にそうなほどです。』ある兄弟がこの人に心配することは間違っている、実のところ心配は罪であると話したところ、この女性はこう言い返しました、『母親ならば、自分の子供のことを心配するのは当たり前です。心配しなければその方が罪です。』この兄弟は、彼女にピリピ書4章6~7節を見せました。それでも、彼女はここに書いてある思い煩いとは、自分が持っているような心配事とは違う類のものだろうと考えました。この人の考えでは、妻が夫のことを心配し、親が子供のことを心配し、商人が商売のことで思い煩うのは当然のことだったからです。しかし、私たちは聖書がきっぱりと、『何も思い煩わないで』と言っていることをはっきりと覚えましょう。他に何もいりません!
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