2015年3月9日月曜日

3月9日

愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた[マタイ25:3-4]

その時、ランプの中に何があったかはさておき、愚かな娘たちは、油を用意しておきませんでした。賢い娘たちは入れ物に余分な油を持っていました。ランプの中の油は精霊をさすもので、それは生まれかわったすべての人の中に住んでいます。クリスチャンは、なり立ての者であっても、その中に精霊が住んでいるのです。

しかし、入れ物の中の油は、中に精霊が住んでいること以上の意味を持っています。それは、精霊に満たされることを語っています。中に住む御霊は、新生の時に受けるものです。生まれかわった後も、欠かさず求め続けることで、御霊に満たされることができます。一人ひとりの信者は御霊を持っていますが、全員が御霊に満たされているわけではありません。他の人から見て、私たちが倍以上の油を持っているか、分からないかも知れませんし、今日、この時は確かに、大きな問題もなく生きていけるでしょうが、来たるべき日には、知られてしまうことでしょう。私たちは、代価を払うことを望んでいるでしょうか?

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