2015年3月24日火曜日

3月24日

さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした[第1コリント2:1]

私たちの誰もが、何かの天賦の才能を持っています。多くの才能を持つ者も、少ししかない者もいます。人間は、まず、生まれた時に与えられた才能に頼って、自分が経験した十字架を説明しようとする傾向があります。聴衆が同じ見方を受け入れ、同じ経験を共有してくれるに違いないと、希望してしまいます。しかし、どうしたものか、皆は冷たく、受け止めてくれない、期待通りに決してなりません。私たちは、自分が十字架の経験において、まだまだ若い者であること、また、生まれつきのよい才能はキリストともに死ななければならないことに気付いていません。私たちは、生まれつきの能力に頼ってなされた働きは人間を一時、喜ばせることしかできず、精霊の実際のはたらきを魂に伝えることはできないことを見出さなくてはならない。それができなければ、私たちが持っているすばらしい天賦の才能はまったく役に立たないものであり、また、より偉大な神の力を求めることがどれほど必要かを、本当に認識することはできません。

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