2015年3月6日金曜日

3月6日

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています[ローマ6:6]

ここで言う罪とは人間の内側を支配する罪の性質をさしています。古い人とは、罪を聞くことに喜びを見出す自分自身のことを言っています。そして、罪のからだとは、罪のあやつり人形である私たちの体を意味し、それは実際に罪を犯します。かくして、罪は私たちの内側を主のように支配します。罪は古い人を操って、罪のからだへと向かわせます。古い人とはアダムから来た全てのものを表しています。古い人は自ずと罪に傾きます。つい罪の方へと、自分のからだの舵を切ってしまう人です。私たちが罪を犯さないようにするために、中にある罪の根源を根こそぎ滅ぼしてしまえばよいと言った人がいます。また、外なるからだを、ぎりぎりまで抑制するべきであると考える人もいます。しかし、神のやり方は人間とは完全に違います。神は、罪を根絶やしにすることもなく、からだを厳しく扱うこともしません。違うかたちで、古い人に対処してくれます。『私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた』のです。

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