2015年3月2日月曜日

3月2日

イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた[ルカ7:39]

この罪深い女は、男たちから嘲りと蔑視を受け続け、そのため、ただ羞恥心にさいなまれていました。しかし、ここにはイエス様がいました。聖なる方でありながら、近づくことを許してくださる方、その方が、この女に自分の後ろに立ち、足元で泣くことをお許しになったのです。彼女は罪から来る思い煩いを注ぎだすために泣きました。彼女は心に隠された何かを吐き出すために泣きました。彼女は助け手がどこにもいないことを訴えるために泣きました。そして、彼女は救世主への希望を示すために泣きました。しかし、泣いてもサイモンの哀れみを受けることはなく、むしろ、静かな非難が部屋中に広がってゆきます。確かに、罪に対する悲しみの涙は、自分を義とするサイモンには理解しかねるものでした。しかし、このイエス様は理解したのです!はじめにサイモンの誤りを正し、それから、泣いている女のためにこう宣言しました、『彼女の多くの罪は許された』。それ以来、この寛容は多くの罪びとへの福音となりました。

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