そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません[エペソ4:17]
心の空しさは、よく空中に城を建てるようなものと例えられます。これは無意味な考えです。このような人の心は、ある種の空虚な考えでいっぱいになっています。ある男性が牧師の説教の最後を締めるお祈りをするように頼まれました。そんな時、彼は自分の52連のお金のことを祈らずにいられなくなりました(この頃の中国では、硬貨は紐に通して縛っておきました)。この男の心は、金に関する空虚な思いで占められていたのです。では、どうすれば神のいのちを解放できるでしょう?この例で言えば、人、ものや出来事はそれぞれがある種の空虚な思いとなって、私たちの心を占領してしまうことが分かります。私たちの心が空虚な思いに奪われている時はいつでも、神のいのちは圧しとどめられているのです。
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