2015年3月23日月曜日

3月23日

パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。神よ。私はほかの人々のよう…な者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します[ルカ18:11]

このパリサイ人は、自分の正しさを信じていただけではありません。主イエスは、さらに、この男を『自分を高くするもの(14節)』と呼んでいます。自分を高くするものはみな、地獄へ行きます。私は福音を述べ伝える説教師です。そして、こう言わざるうを得ません。何年もの間、こうして伝道してきましたが、自分に誇りを持つものが救われたところを見たことがありません。誰でも、救われたいと望むなら、自分はどうしようもない罪人であると認めなくてはなりません。人間は、自分を救うことはできず、自分自身に寄り頼むこともできません。こう告白しなければなりません、地獄こそ自分にふさわしい場所です、と。そして、キリストの十字架の下にひれ伏すこと—恵みを乞い、自分のために十字架で身を捧げたナザレのイエスを信じることが必要です。こうしてどこまでも、へりくだることです!謙虚さがなければ、これができるでしょうか?この世では、主イエスを救い主として信じること以上に、謙虚さが求められることはないのです。

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