2015年3月7日土曜日

3月7日

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい[マルコ8:34]

私たちは、十字架の道がどのようなものか知りません。自分たちの人生に入り込んでくるものは全て、神が許されていることが分かっていません。私たちの意思に反するもの、誤解されてしまう原因、私たちを苦しめ、行く手をふさぎ、希望を断ち切るものは何であれ、神が私たちに下さった十字架なのです。では、こういったものに、どのように立ち向かえばいいでしょう?心の中で抵抗しますか?人に不満を漏らしますか?何とかこの困難から抜け出せたらと願いますか?

私たちの上に、十字架が落ちかかることを、神が許される時はいつでも、何かの理由があります。十字架はひとつひとつが、霊的な使命を持っています。すなわち、私たちの人生において、特別な何かを成し遂げるために送られたのです。もし、主イエス様が十字架に耐えたように(ただし、私たちと違って、主の十字架は罪を償うためだったことには注意しましょう)、私たちも御心によって耐えることができれば、私たちのいのちはいっそう大切に扱われ、私たちはより大きな力を持って、御子の復活の命で満たされるはずです。

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