2015年3月5日木曜日

3月5日

そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません[1コリント12:21]

主は御自身の働きをすべての者に配分され、一人ひとりが自分の分を受けます。自分自身を必要以上に、大きな価値あるものと思ってはいけません。われわれは、主が一人ひとりに下さった部分に対して、誠実であるべきですが、同時に他の人に与えられる受け分にも敬意を払うべきです。若い人の多くは競争するような態度をとり、いつも、自分が持つ何かを他の人が持っていないものと比較したり、彼らが持っていないものをまた他者が持つものと比較したりします。実際、そんな比較は愚かなものです。椅子ひとつとテーブルひとつの数を足し合わせることができるでしょうか?答えは1ですか?2ですか?テーブル1足す椅子1は、ただ、テーブル1と椅子1なのです。手と目、どっちがよいかと訊かれたら、手も目も両方ともよいとしか応えようはないでしょう。キリストの体を見たものは、誰でも、全ての部分の機能を認めます。そのような人は自分を、たくさんの構成要素のただひとつとして見ます。自分自身が特別な場所にいるかのように思い込んで、他の人より上にあるかのように比較したり、他の人の場所を占領したりすることはしません。

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