2015年1月23日金曜日

1月23日

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい[マタイ16:24]

自身を否定するとは、自分自身の存在を無視し、また、自分の持つ権利を捨てることを意味します。自分自身を否定するとは、神の御心を探る中で、自我を退けるこであり、これによって、すべてにおいて自分の心には従うことをやめ、自己中心を排除することに他なりません。そのような人だけが主について行くことができます。これは、分かりきったことです。自分自身を求める人が、どうして主について行くことができましょう?

『自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』、これは自身を否定するより、更に深いことです。自分を否定するとは、自分の存在を軽視するに過ぎないのに対し、十字架を背負うことは神に従うことを意味しているからです。十字架を背負うとは、神がその人に対して定めたことを必ず受け入れること、そして神の意思に沿った苦しみを喜んで受けることを意味します。自身を否定し、十字架を背負うことで、本当の意味で主に従うことができます。

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