十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である[1コリント1:18]
十字架について説くとき、私たちは十字架の人生を他者に伝える者とならなければなりません。私にとって大きな痛みは、今も多くのものが説教の中で十字架について語っているのに、聴衆は神の人生を受けているように見えないことです。人々はわれわれの言葉を聴き、それに賛同して、喜んで受け取っているように見えますが、そこには神の人生が存在していません。
人間の考え、言葉、雄弁さ、議論は、人間の魂をかき乱すことしかできません。こういったものは人間の感情、心や意思を駆り立てるだけです。しかし、命は人間の精神に届きます。そして、精霊の働きはすべて、私達の精神に対して成されるのです。すなわち、私達の内なる人に対してです(ローマ8:16、エペソ3:16を参照)。私たちが、霊的な経験の中で、命を精神へと送り出すと、精霊は自分の命を、他の人間へと送り込み、その人たちが生まれ変わった命や、より豊かなる命を受け取ることを可能にしてくれます。
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