2015年12月8日火曜日

12月8日

だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう[マタイ13:30]

麦は乾かさないといけません(水が必要なブドウと違います)。ですから、日射が必要です。刈り入れの時期を決めるのは、中に残っている水分の量です。刈り入れの前に、煙突と屋根を、完全に乾かしておく必要があります。ここで、われわれはみな、麦であり、乾ききらなければなりません。すなわち、この世の楽しみを求めることをやめるのです。『麦は地に向かって乾いてゆき、天に向かっては熟していく』、鋭くもこう言った人がいます。日光は、過酷でありながらも、麦が生長し熟すのを助けるものであり、霊的に言えば、世を愛する私たちが乾き切るために必要な試練を現しています。麦によって聖人、王国の御子を現された神の知恵は実に深いものです。神は、私たちが熟すのを待ってから、ご自身が刈り入れます。信者の携挙の時は、ある意味、その成熟の度合いによって決まるのです。

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