なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです[ローマ8:2]
ここで言ういのちの原理の性質とはどのようなものでしょう?その性質は、ある流れに沿って無意識のうちに働きます。たとえば、耳は無意識のうちに聞くし、目は本能的に見ます。意識して、そうしむける必要はありません。舌が食べ物を味わうのも同じで、良いものは自然に飲み込み、悪いものは吐き出します。どちらも、意識的な努力は必要ありません。神が私たちの中に入れるものは、いのちであり、このいのちはそれ自体が原理なのです。
以下のように考えてみましょう。枯れた桃の木にこう話しかけるところを想像してみてください、『あなたには緑の葉と赤い花があるはずだし、時機が来れば桃の実を結ぶのではないですか』。一年の初めから終わりまでこう言い続けようとも、何も得られません。その木は枯れているのですから。しかし、まだ生きている桃の木であれば、あなたが頼まなくても、自然に芽、葉、花を付け、実を結びます。これが自然に働く、いのちの原理と呼ばれるものです。
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