2015年12月13日日曜日

12月13日

ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です[1コリント12:12]

マタイによる福音書を読むとキリストのある面を知ります。マルコによる福音書を読むと、キリストの別の顔に気付きます。ルカによる福音書を読むと、キリストの清さのさらに違った側面が見えてきます。そして、ヨハネによる福音書を読めばキリストの栄光について、また別の面を見ることができます。これに加え、ペテロの手紙を読むと、キリストの荘厳な輝きを拝し、パウロの手紙を読めば、そこにはキリストのことがまた別の形で表されています。また、ヨハネの手紙をたどれば、キリストの栄光ある美しさの記録は、これまでに書かれたあらゆるものに勝ると告白せざるを得ないでしょう。これらすべてのことから、私たちの主は誰よりも偉大なお方であり、信じる者は年齢や国籍にかかわらず、主のことを語らずにいられないのです。キリストのみ体は、主の命、そのさまざまな美しさと栄光が、個々の器官を通して、現れているところです。

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