彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとした[マルコ15:23]
これは十字架の上で、味合わされる痛みを和らげるためだったと言われています。しかし、私たちの主はそれをお受けになりませんでした。主は苦しみから逃げることを拒まれました。この世に来られる前、主は『まずすわって、その費用を計算』しました(ルカ14:28)。主は世のすべての罪人を心から愛されたので、彼らのすべての苦痛を喜んでその身にお受けになったのです。主はむしろ、罪人の死を、ただこの一度で完全に味わい、それによって、彼らが永遠の命を受けられることを望まれました。主は、罪人が持つあらゆる苦しみを敢えてご自分の身に受けられましたが、それは、彼らが主の正しさを喜ぶことを望まれたためでした。
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