それについて偽って誓った物全部を返さなければならない。元の物を償い、またこれに五分の一を加えなければならない[レビ記6:5]
罪のためのいけにえと罪過のためのいけにえにはその性質において、基本的な違いがあります(第2節を参照)。罪のためのいけにえは『なだめ』のために行われ、罪過のためのいけにえは『償う』ために捧げられるからです。
私たちの罪は、神の前で、神の子羊の流された血を通して、和らげてもらわなければなりません。私たちが人間に対して犯した罪は、どのような物であろうと、償わなければならず、和らげることはできません。預りものをごまかしたり、不正なやり方で利益を得た場合は、相手に対して償う必要があります。償いをしないのなら、罪過のためのいけにえを捧げることはできません。主イエス様の血を通して神の許しを得ることは真実です。しかし、人に対して罪を犯しながら、それを償うことを拒否すれば、神との対話は失われます。過去に行ったことを考えるといつも、良心が咎められるでしょう。そのような状態で、神と自由に交わることはできません。
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