2015年12月29日火曜日

12月29日

その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』[マタイ25:21]

霊的な事柄においては、『時』は『永遠』のためにあることを認めなくてはなりません。すなわち、今のこの時に行う働きは、私たちが永遠に用いられための準備に過ぎないと言うことです。神が、私たちを今、この場所におかれたのは、永遠の中で用いられるように訓練するためです。時間とは、霊的な訓練と教育を受ける学校のようなものです。今、この時に受けている霊的な訓練と教育のおかげで、永遠の中で、私たちは真に神の役に立つようになれるのです。黙示録22章から分かるように、私たちは永遠の中でさえ神に仕えるのです。今日、主が私たちを神の子供たちの間におかれるのは、私たちが彼らと共に学んで、主に用いられ、永遠に仕える準備をするためにです。

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