2015年7月1日水曜日

7月1日

人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです[1ペテロ]

キリスト者の心の安らぎは、誰に対しても何も負うものがないことだけでなく、自分に負わされた何事をも耐えることにもあります。救われる前、多くの若いキリスト者が人から何かを騙し取ってきました。しかし、救われた後は、人々に対し、公正であろうと試みます。キリスト者であっても、何か不公平な扱いを受けたときは、怒りを感じます。そのような人は気付いていないのです。信者は、他者に公平でなければならないだけでなく、人からどれだけ不公平に扱われても耐えなければなりません。主が人から受けた扱いは、決して公平なものではありませんでした。率直かつ公平に言うなら、主は、私たちを救うために、この世に来て人間になる必要などなかったのです。しかし、ただ私たちを助けるために、主はあらゆる不当な扱いに喜んで耐えたのです。

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