神のことばは生きていて、…たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます[ヘブル4:12]
はっきりと認めるべきです。私たち自身にとって、霊に属するものと、たましいに属するものを、外から見ただけで区別するのは、容易なことではありません。これは霊に属するものか、あれはたましいに属するのかと、日々自問しても無益なことです。このような問いには何の霊的な価値もありません。尋ねることはできますが、答えを得ることは決してありません。霊的な事柄においては、自己を分析しても、現実を見出すことができないだけでなく、精神を麻痺させることにもなってしまいます。事実を見て、理解するのは神の光を当てられて初めてできることです。光が輝けば、自然に目に見えてきます。ですから、もはや自問する必要もありません。私たちに必要なのは、み言葉が私たちの中で輝くよう神にお願いすることです。神の言葉は生きており、もっとも効き目があるからです。
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