しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない[イザヤ40:31]
かつて、ある宣教師が言いました。神のために働かずにいられない気持ちでいるときは、神は罪人を救うために私たちを用いることはありません。神の目的のためにどうしても何かの働きをしたいと言う気持ちが消えたとき、人々を救うため、神に用いられるのです。魂を救う道具として、人間の手による福音伝道が、神の役に立たないという意味ではありません。しかし、はたらきが神の御心でない場合は、それを進んで行わないように、心がけなければなりません。無遠慮に行動してはいけません。神の命令がない時は、前に進むより、むしろ静かしていたほうが良いのです。神はこのような人を、魂を救うために送り出します。
送り出されてもいないし、命令を受けてもいないのに、何かをするのは、砂の上に、金メッキの家を建てるようなものです。一時的には、家は立ち、しばらくの間は、輝きを放つかもしれませんが、キリストのさばきの座では打ち捨てられるでしょう。神の命令にしっかりと従うはたらきのみが、用いられます。
0 件のコメント:
コメントを投稿