2015年7月7日火曜日

7月7日

こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです[2コリント4:12]

働く死とは『働きのある死』でなければなりません。それは、死のいのちであり、十字架のいのちです。主イエスのために、パウロはいつでも、死にわたされる覚悟でいます。侮辱の言葉、高圧的な態度、残酷な迫害、そして、不当な誤解をものともせず、すべては主のためと、彼は喜んで耐えしのびます。パウロは、死に渡される時も、決して口を開きません。主はその御父に願って、自分の命を助けるために12人の天使からなる軍団を送ってもらうこともできました。パウロにとっても、人間的な方法でこのひどい仕打ちを回避することは簡単です。しかし、彼はむしろ、イエスの『生きた死』、すなわち、十字架のいのちと霊が、自分の中に働くことを求めています。こうすることによって、彼が生きていくすべての面で、十字架の精神を現すためです。彼は、十字架こそもっとも力あるものと信じています。それがあるからこそ、主イエスのために進んで死に渡され、また、喜んでこの世の迫害と困難を受けることができるからです。

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