2015年7月25日土曜日

7月25日

私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています[ガラテヤ4:19]

パウロはここでむなしい言葉を使っていなし、自分の悲しみを表現しているのでもありません。彼は、子どもたちのために『再び産みの苦しみ』をしています。そこには時間、愛、とりなし、涙、そして日々、待ち望むことが必要です。

今日、神の子供たちの中で、内側にキリストが形造られている人はどれだけいるでしょう?主に仕えるもののうち、何人が、神の子供たちの霊的な状態を観て、彼らが受けている霊的な産みの苦しみのことを気にかけているでしょうか?ああ、ここで私たちは、自分たちの異常な状態と、神の子供たちへの愛の欠乏を思って、悔い改め、嘆き、そして、涙を流さなければいけません。神の子供たちの中に、その霊的な状態が、子供じみていたり、異常であったり、時には後ろ向きであるものが多いのは何故でしょうか?その責任は彼らだけにあるのでしょうか?私たちは彼らのために嘆き、祈ったのでしょうか?ああ、神よ、お許しください。私たちを哀れんでください!

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