2015年7月20日月曜日

7月20日

用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。…だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです[マタイ25:10,13]

『用意のできている』とは、何もやりかけのまま残しておかず、いつでも、主に呼ばれる準備ができていることを意味します。『目を覚ましている』とは、主がいつ来られても備えができているような生き方を意味します。私たち信者は、日々、呼ばれる日のための準備をしておくべきです。主はいつ来ても不思議ではないのです。5人の愚かな娘は、当初は用意ができ、目を覚ましていましたが、しかし、なんと言うことでしょう、ずっとそのままではいなかったのです。

用意ができ、目を覚まして待っているためには、精霊に満たされていることが必要です。自分に頼っていてはうまく行きません。すぐに、弱められ、愚かになってしまうからです。しかし、精霊に満たされているなら、おのずと神の栄光へと実を結びます。真に目を覚ましている者であれば、いつも自分は未だ完全に用意ができてはいないと感じているはずです。そのような人は、自分自身により頼むことがないのです。これが本物のへりくだりです。

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