2015年5月6日水曜日

5月6日

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか[ヘブル12:1]

走るときに、絶対に忘れてはならないことが二つあります。ひとつは、すべての重荷を捨る去ること、そして、罪を脱ぎ捨てることです。罪は前進を妨げる最大のものです。それは、人を走るのに不適格な者としてしまいます。罪とは、ルールを犯すことであって、ルールを犯す者は、競争を走ることは許されません。傍観するように命じられるのです。信者は、自分が知っている罪を脱ぎ捨てるべきです。嫉妬、誇り、心の汚れ、嘘の言葉、怒りっぽい気性、また、湧き出る欲望、こういったものは、人を競走に出るには不適格なものしてしまいます。キリスト者は、ローマ人への手紙6章6節と6章11節に立ち、自分が罪に死んだものであると考えることが必要です。自分の罪を捨てることが必要であり、罪が自分を支配することを許してはなりません。人はまた、体の各部分を神の義のために用いられる道具として差し出さなければなりません。主の教えに背いた場合は、それが何であれ、正直に告白し、悔い改め、そして、それを打ち捨てて、神の許しを得なければなりません。

(参考)ローマ人への手紙

6:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

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