この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです[ヘブル6:19]
巨大な錨のついた気船に乗っていると考えてみましょう。錨が船の上に置かれたままだったら、なんの役に立つでしょうか?錨は、水の中に投げ入れて、船を安定させるためのものです。船の上に、ずっと置いておくものではありません。これは、信仰についても同じことです。信仰とは、私たちの内側にあるものを信じることではありません。信仰は、主イエスに投げかけるためのものです。私たちからキリストに投げかけられます。こう言わせてください。汽船は、どれだけ大きな錨が積まれていても、水の中に投げ込まない限り、船が安定することはありません。私たちは、自分自身を見れば見るほど、失望してしまいます。しかし、信仰の錨を主イエスの十字架の上に投げかけたとき、平安を得られるはずです。
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