2015年5月27日水曜日

5月27日

しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた[マタイ15:24]

なぜ主は彼女にこんなことを言われるのでしょうか?それは、この女にしがみつく手がかりを与えるためです。主はイスラエルの家に送られたと言われていますが、それは、失われた羊に対して送られたということにすぎません。『失われた羊』とは、はるかに広い相手を含んでいます。この女は失われた羊ではないのでしょうか?彼女は恵みを受ける資格がないのでしょうか?彼女が自分は失われた羊であることを認めさえすればよいのです。主は彼女に投げやりな答えをしています。主は初めは、彼女に答えません(23節)が、これは拒絶ではありません。むしろ、無言の容認です。主は、初めは口を開きませんが、彼女への恵みを示すことのできない、主の心は愛で苦しんでいます。この女が、罪人として立場を認めない限り、主はその要求に答えることができないのです。神が答えを遅らせているのは、まったき拒絶ではないことを理解しましょう。すぐに応えないことは、決して無関心を示すものではありません。むしろ主は、私たちがそばに来るのを待っています。

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