2015年5月23日土曜日

5月23日

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません[マタイ10:37]

主は、私たちがすべてを与えることを求めています。やや少なめにを与えるのでは、意味がありません。主が求めるのは、相対的ではなく、絶対的な愛です。主は私たちを必要としています。自分自身が傷つくほどに主を愛することができれば、私たちは主を愛することの喜びへと導かれます。主を愛しているけれど、その愛に喜びがないのなら、まだ、自分が傷つくところまで愛していないからです。しかし、それだけ主を愛する人なら、十字架を担いで、歌い始めると言う経験を持つことでしょう。

『ふさわしい』とはまず、主の側から考えなければなりません。主は、あなたの愛を受けるにふさわしいでしょうか?この問いは、主はふさわしいかどうか、と言う点を中心に展開します。どこまで主を捨てるかではなく、主はどれほどの奉仕をするにふさわしいお方であるかと言うことです。もし、福音を述べ伝えている君主の異常な行為とみなすなら、私たちは主の栄光と威厳を知らないままでいることでしょう。われらの主はふさわしいお方です!この世界のすべての優れた人たちの奉仕を受けるにふさわしいお方です。

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