(キリスト・イエスは)ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです[ピリピ2:7]
この意味するところは、主がご自分に課される制約を受け入れたと言うことです。天においては、主は望むところ、どこへでも行くことができます。しかし、主が肉体を与えられ、人と同じ姿を取られた後で、主は赤子から大人へと成長されました。主は、人間と同じように年月を経て大人になり、人間として、食べ、飲み、また、眠り、休息を取られました。これにより、主の神としての性質は大きな制約を受けました。事実、奴隷と言うかたちを取られることで、主の行動はいっそう大きく制限されたのです。人であれば、主にはまだ人間に許された自由は持っていましたし、人の持つ楽しみを味わうこともできました。しかし、奴隷のかたちを取られたために、普通の人間の持つ自由さえも犠牲とされたのです。主はあらゆる面で制限され、束縛されました。主は、父の御心以外、何も知りませんでした。人となられた主はどれほど大きな制約を受け入れなければならなかったことでしょう!無限の力を持つ神でありながら、主イエス様は行動の制約を受けいれました。そして、人間になられただけでなく、さらに大きな制約をも受け入れたのでした。
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