2015年9月2日水曜日

9月2日

彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである[ヨハネ12:43]

人間が善と悪を知る知恵の木の実を食べて以来、人の栄光は、人間の魂における重要な関心ごととなりました。私たちは一人ひとりが自分専用の王座を持っており、この王座は人の栄光の上に建てられたものです。しかし、もし私たちが主の忠実な僕であろうと望むなら、自分の王座からは下りなければなりません。それを拒めば、主に仕えることはできないのです。ヘブル書12章2節は、私たちの主であるイエス様が、はずかしめをものともせずに十字架を忍んだことを教えてくれます。主は、喜んで十字架を選んだのです。そして、十字架は死だけではなく、恥辱でもありました。真に十字架に砕かれたことがあるなら、恥辱をものともせずに正面から受けとめる経験を、必ずあなたも味わうでしょう。神が哀れみ深くあって、私たちに主を喜ばせる心を持たせてくださり、主の恵みによって私たちがが忠実なしもべとされますように。

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