2015年9月20日日曜日

9月20日

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい[1コリント10:31]

正しいか、間違っているか、善か、悪か、霊的に価値があるか、ないか、これらのことがらは全て、神の栄光の存在によって計られます。人間の目には、些細でどうでもいものに見えても、それに触れることで正しく神の栄光にふれることもあります。そして、神の栄光に触れることで、自分が既に神の導きを得ていることがわかるのです。そうなればもう、待つ必要はありません。何かの働きをしている時、それにあまり価値がないとか、何かがうまく行っていないと感じることがあるかもしれませんし、一方で、あなたが参加している他の働きの中で、そこには意味があり、本質的に正しいと感じることもあるでしょう。問題は、働きが外から見て大きいか、小さいかではなく、神の栄光がそこに存在しているか、いないかということにあります。神の栄光がなければ、何の意味もなく、神の栄光が存在するところには、大きな価値があります。

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