2015年9月15日火曜日

9月15日

わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を[詩篇42:11]

多くのクリスチャンは、あまりに感情のおもむくままに生きています。楽しく幸せな気持ちでいられた日は、今日は神が本当に祝福してくれていると言います。しかし、冷たく退屈な日を過ごした時は、こんな風に言いたくなってしまいます、神がどこにいるかどうして分かろうか?このように、多くのクリスチャンが感情に依存し、自分の気持ちを見失うと、戸惑ってしまいます。ここから分かるのは、彼らが本当の意味で主を知らないことです。冷たくても暖かくても、単調であろうと、波乱があろうと、そんな感情は何の問題にもならない、自分は既に神を知っていて、どんな感情よりも深い知識がある。そう言える段階まで、神の子どもたちは、主に移されなければなりません。外に向けて、さまざまな感情が湧き出しても、それが楽しみ、痛みであれ、心の中では知っている。そのような人だけが、どれだけ揺さぶられても、持ちこたえることができます。

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