さて、アブラハムの時代にあった先のききんとは別に、この国にまたききんがあった。それでイサクはゲラルのペリシテ人の王アビメレクのところへ行った[創世記26:1]
概して言えば、エジプトには飢饉はありませんでしたし、飢饉になりかけた時も、古い穀物のたくわえがありました。しかし、カナンの地ではよく飢饉が起こったようです。霊的に言えば、これは次のことを語っています。この世界において、この世にいるだけでなく、世に属する者が飢えることは、実際にはほとんどあり得ません。しかし、神への従順への道を歩んでいる者には、時に飢饉がもたらされます。較べてみますと、地上では、ほとんど、あるいは、まったく苦難がなくても、従順へと向かう道筋には、多くの試練が待っています。苦難がどれほど大きくあろうと、神のいるところ、常に脱出の道も備えられています(1コリント10:13を参照)。ですから、真実を尽くすと同時に、いつも目を覚ましていましょう。
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