私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです[2コリント3:18]
銅細工師は金型に溶けたままの銅を注ぎ、その銅は固まると金型の形となります。また、お菓子作りを例にとっても、人が金型に用意した生地を入れると、それがその形をしたケーキとなります。この例えのように、私たちは主のようになるべきです。『御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められた』、とパウロがローマ書8章29節の中で述べているとおりです。これは、私たちがいずれは、栄光に満ちて人の姿を取った主のようになることを意味しています。人間が、神の供えた金型に合わせて、本当に変わるためには、その人の内なる性質が変容をとげなければなりません。すなわち、神のいのちを自分の霊へと受け入れ、そのいのちを自分の全存在の中に浸透させなければならないのです。それは、生まれたままの性質が変化し、その姿が完全に変わってしまうところまで行う必要があります。主の霊は一歩一歩働かれます。それは、『栄光から栄光へと』進みます。主を褒め称えましょう!
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