2015年8月30日日曜日

8月30日

ですから、私たちも、いっさいの重荷を捨てて…[ヘブル12:1]

重荷とはなんでしょう?重荷は罪ではないかもしれないし、必ずしも悪いものとも限りませんが、私たちをいとも簡単にがんじがらめにしてしまうことは、疑いありません。走り続けることができないように邪魔するもの、進歩の妨げとなるものは何であれ、重荷とみなされます。

19世紀、ある男性がいて、大いに主に用いられました。彼は長大な時間を費やして、ヘブライ語の辞書を編纂しました。作業が完了すると、彼は批評してもらうため友人たちにそれを送りました。誰もが、その仕事を大いに賞賛しました。しかし、この兄弟は原稿を燃やしてしまったのです。学者志望だったその男が言うには、それは、彼がその本を編纂している間に、主への愛だけでなく、魂への愛も同じように、大きく消えていくのを感じたためでした。彼にとって、その書を校正、印刷するとなれば、その後も、さらに続けて多くの時間とエネルギーを費やすことになってしまいます。このような行動を取ったことにより、この信者は重荷から解放されたのです。

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