主はモーセに告げて仰せられた。「…最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それはわたしのものである。」[出エジプト13:1-2]
ここで、これから後、イスラエルのすべての初子は神のものであると言い渡されています。今日も代わらず、小羊のかけがえのない血潮をもって引き寄せられた者は、誰もが神に属しています。私たちは買い取られたのですから、もはや自由ではありません。誰が心から、『神よ、私はあなたのものです、私はあなたの奴隷です』と、言えるでしょうか?『あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい(1コリント6:20)。』人が救われた日が、その人が買い取られた日となります。奴隷は金で買い取られますが、召使いは金で雇われます。買い取られたものには、何の自由もありませんが、雇われたものには自由があります。私たちは鎖につながれた神の奴隷であって、雇われ人ではありません。聖書が書かれた原語によれば、私たちは神に買い取られた奴隷であって、雇われた使用人ではないのです。
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