2015年8月15日土曜日

8月15日

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから[詩篇23:4]

初めて自分が救われた日よりも、今日のほうが喜びが大きいと言えるクリスチャンがいるでしょうか?私たち信者の心はどれほど悩みに満ちているでしょう!私たちは自分が罪を犯し、打ち負かされたと感じています。私たちは、初めて救われたときのような喜びを感じてはいません。とはいえ、実際のところ、心の渇きは、必ずしも精神的な衰弱を意味するものではありません。

次のように説明してみたいと思います。無くした時計を見つけたら、この上もなく幸せに感じることでしょう。でも、それから数日すれば、初めに時計を見つけたときの浮かれた気持ちはなくなってゆきます。そしておそらく、更に、何日か経てば、喜びは完全に消えてしまうでしょう。しかし、そのときには、時計がまた無くなったわけではないのです。では、何が起こったのでしょうか?簡単なことです。無くなったものは、今度は腕時計ではなく、初めに時計を見つけたときの喜びなのです!私たちが気づかなければならないのはここです。信者のよろこびに満ちていた気持ちは消えても、その喜びを与えてくれたものは決して無くなることはないのです。

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