2015年8月10日月曜日

8月10日

このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません[マタイ24:2]

なぜ、主はここで、それほど美しい宮が、イスラエルの子孫の手に渡る前に荒れ果ててしまうなどと言われるのでしょう?それは宮の栄光が、金銀財宝ではなく、主の臨在にあるからです。世界中の金や宝物を集めた宮であっても、主がいなければ、それがなんの役に立つでしょう?こう言った物が遺されて、人々がそれに心を奪われることがあってはならないのです。神の宮である私たちは、神が真に臨在されているのでなければ、外見を取り繕っているにすぎないことに注意しましょう。

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