2015年8月21日金曜日

8月21日

いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました[エペソ1:22]

主にこう言ったことがありますか、『主よ、あなたは私のかしらです。私には何かを決定する権利も、自分で何かを選ぶ権威すらありません。どうか私が、自分のかしらになろうとは決して考えませんように』と。神の命令を受け入れるにはどうすればよいか、一人ひとりが学ばなければいけません。すなわち、キリストがかしらであり、自分の意思に従ってはいけないのです。主によって支配され、主に降伏する。これがすべてのクリスチャンにとって、基本的な経験となるべきです。

パウロが改心した際の経験を見てみましょう。ダマスコに向かう途中、主が彼の周りを照らしました。そして、彼は尋ねました、『主よ、あなたはどなたですか?』(使徒9:5)。パウロは先ず、イエスを主として見て、その後で、イエスが救い主であると信じたのです。ああ、私たちは誰もが、心からこう言えるようにならなければなりません、『主よ、私は完成しました。これから後、私を指図するのはあなたです。あなたは主であられますから。』

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