2015年8月11日火曜日

8月11日

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます[マタイ7:7]

祈りはなんのために行われるのでしょうか?神は全知だけでなく、全能でもあられるのではないでしょうか?では、なぜ神は、私たちが祈るまで待って、働きを始めなければならないのでしょう?既にすべてを知っておられるはずの神に、あらためて伝える必要があるのは何故でしょう(ピリピ4:6)?全能でありながら、なぜ神は直ちに、働かれないのでしょうか?

このような疑問を呈することで、私たちは、祈りが大切な奥義であることが分かってきます。ここに、神の働きの原理が見られます。それは、神ご自身が立ち上がって働かれるためには、神の民は、祈らなければならないと言うことです。主の御心は、主に属する者の祈りを通して初めて理解できます。信者の祈りは御心を成し遂げるために行われるものです。神は、ご自身だけではその御心を満たすことはできません。主の働きは、民が祈りの中で主への思いを現してから始まるのです。

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