2015年6月1日月曜日

6月1日

それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか。」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります。」と答えた[創世記24:58]

リベカは、アブラハムのしもべといっしょに行くかと尋ねられたとき、『はい。まいります』と答えました。彼女はこうして、父の家を出ました。父の家を出た後、リベカは、ラクダに乗って荒野を旅しました。これは苦しみの道を意味しています(ラクダは苦難を象徴します)。こうしなければ、彼女はイサクを助け、喜ばせることができなかったのです。

キリスト者であれば、主にこう語るべきです、『これから私は、すべてのものを喜んで投げ出します。あらゆる人、これからの出来事、どんなものでも』。こう言えない人は、神が、今日何かを捨てるよう、私たちに言ったとしても、それはあまりに辛いのでできないと答えるしかありません。また、明日、神が別のことを命令してきた場合、私たちは再びこう答えます、『いいえ、それはとても苦しいので、できません』。神は、あまりに厳し過ぎるのではないかと思えることがあります。なぜでしょう?それは、私たちがまだ、父の家を出たことがないからです。『あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。そうすれば王は、あなたの美を慕おう(詩篇45:10-11)』

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