しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい[マタイ5:44]
ここで述べられていることは、愛があるからこそ行われるものです。心が荒れたままでは、迫害する者のために祈ることなどできないでしょう。ここで見る愛とは、相手に対する好感とか、親しみによるものではなく、むしろ哀れみから来る愛です。私たちは、哀れみの心を閉じてはいけません。
44節のとおりに生きることができれば、私たちは、天の父の子となることができます。父と同じ性質を示したことになるからです。『それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ…』、という45節に、神が人をどれだけ寛大に扱うか見ることができます。神が私たちのようであれば、誰も救いを受けることはないでしょう。ただ、神だけが、人間の悪を忘れることができます。人間には、悪を忘れる力はありません。人間の心は完全に、何かを忘れ去ることはできないのです。
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