2015年6月7日日曜日

6月7日

そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした[1コリント2:4]

わずかでも自分に依存する気持ちがあれば、間違いなく、私たちは聖霊により頼むことができなくなります。十字架につけられた人だけが知っていること、知りたいと願っていることは、どうすれば神の御霊とその力にと拠り頼むことができるかということです。パウロは、例えば、自分がキリストとともに十字架につけられました。それ故に、彼が働くときは、決して自己に依存せず、完全に十字架の精神を示すことができます。彼は十字架の道によって、十字架の救い主を述べ伝えているから、聖霊とその力は、パウロが証しできるよう支えています。私たちもパウロ兄弟とともにこう言えるでしょうか、『私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです』(1テサロニケ1:5)。どれだけ感極まって話したとしても、聖霊がその言葉の後ろで働いていなければ、なんの役に立つでしょう?

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