2015年6月15日月曜日

6月15日

また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように[エペソ1:18-19]

時に、人は思わずこんな風に言いたくなる誘惑に駆られます、『神が世界を作られた時に、あれをこうしてくれていたら、もっと良かったのに』。しかし、パウロは、神が世界の礎が置かれる前に定められたことは完璧、かつ、完全であることを語っています。また人は、ついこう言いたくなることもあります、『ああ、今日、神がこうしてさえくれたら』。しかし、神が、私たちに理解して欲しいのは、すべてのことがすでに十字架にと復活で完了していることです。

ですから、神が私たちのためにもう少し何かをしてくれたら、とか、もっと私たちに向けて豊かに恵んでくれたら、もうちょっと力を示してくれたら・・・パウロはそんなふうに祈ることはなかったのです。パウロが強く望んでいるのは、私たちが神からより多くを得ることではなく、私たちが既に得ているものがどれだけの栄光に満ち、豊かで偉大であるかを理解することです。

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