2015年4月30日木曜日

4月30日

人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです[ローマ3:28]

今日の教会において、律法に対して、相反する二つの考え方があります。(1) 人は恵みによって救われるのであって、律法を守ることによってではない。しかし、聖潔を成すためには、律法を守らなければならない。(2) 確かに、人は恵みによって救われるのであって、律法を守ることによってではない。したがって、救われた後ではもはや律法を守る必要はないが、恵みの戒めは守るべきである。後者の考え方が正しいのです。ローマ人への手紙の要旨は、どんな罪人も律法のはたらきによって義とされることはないということです。これに対し、ガラテヤ人への手紙は、救われた人も、決して律法の行いによって聖潔に進むことはできないと語っています。これら二つの手紙は、人が義と認められることも、聖潔に進むことも、決して律法の働きによるものではないことを、十分に証明しています。

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