また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです[2コリント5:15]
はっきりと認めましょう。人間のわがままは、祈りにおいても、他のあらゆる面と同じように、明白に現れます。私たちの意見、欲求、計画、追求はどれほど強いことでしょう!すべての面において、自己否定を実行に移さなければなりません。これは、行動だけでなく、祈りにおいても同じくらい重要です。このことを念頭においてください。私たち、購われた者は、主のために生きるべきです。私たちのために死に、今は、私たちのために生きている主のために。我々はすべての面で主のために生きるべきであって、自分のために何を求めてはならないのです。
私たちはよく、祈りとは、自分に何が必要かを語る出口と考えてしまいます。つまり、神に助けを求める叫びであると。私たちには分かっていないのは、祈りとは、神ご自身の必要が満たされるように、神に願っているということです。神が持つお考えは、祈りを通じて信者がそれぞれの目的を達成することではなく、むしろ、神が信者の祈りを通して、ご自分の目的を成し遂げることと理解するべきです。
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