2015年4月24日金曜日

4月24日

あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました[1ペテロ2:21]

人間はイエスに恥辱を与えましたが、主はこれをものともしませんでした。神は主に十字架を与えましたが、主はこれに耐えました。主は、どれだけ人に誤解され、排斥され、告発され、仲間に裏切られ、また、非難されても、心を乱すことはありませんでした。それは、恥は大したものでなかったからではありません。主が味わった恥辱は、それまでどんな人間も経験したことがないほど酷いものでした。また、主の神としての性質のゆえ、侮辱を強く感じなかったわけでもありません。実際に、主の気持ちは、他のどんな人よりもはるかに鋭敏です。神が主に与えられた十字架は決して軽いものではありません。それでも、我らの主はそれに耐えるのです。主は、それを受け入れ、それに耐えるのです。そして、最後はどうなったでしょう?主は大勝利をもって目的を達し、『神の御座の右に着座され(ヘブル12:2)』、そして、主の栄光が現れる瞬間を待っておられます。

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