2015年4月18日土曜日

4月18日

すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」[マタイ14:28]

信者は、特別であること、そして、主にまず従うとという点でペテロを真似るべきです。『来なさい、と言われた(29節)』。主の言葉は約束です。主の約束がなければ、意味のない危険な行動となってしまいます。ペテロは人前で目立つことするのが好きだったと非難する人もいますが、主は、ペテロを叱るどころか、自分のところに来るよう励ましました。主の約束は、主による容認を示します。

人は舟の中のほうが安全と考えるかもしれません。主の後を追って水を上を歩く必要などないのです。それでも、私たちは信者の人生は、信仰の人生であることをあることに気づくべきです。集団の枠組みの中で、信仰を持ったり、働かせたりするのは簡単なことですが、個人で信仰を持ち続けるのは大変です。実際のところ、信仰とは個人的なものです。ペテロは信仰によって水の上を歩きました。そして、これは主の力で許されたのです。

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