確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ…[1テモテ3:16]
本当に神を知っている人は神を現します。これは、信仰に基づいた生活を送ることにほかなりません。神を敬うとはどういうことなのか、大きな謎です。しかし、キリストが肉において現われ(1テモテ3.16)たことで、この謎はすでに解き明かされています。考えてみましょう!ナザレのイエスはは、肉体に現れた神なのです!この栄光に満ちた、神であり、人間でもある方は、きよく栄光に満ちた神のいのちを示してくれました。そして今日、このいのちは私たちの中にあり、私たちを通して現されなければならないのです。
はっきりと、理解しましょう。神を敬うことは、禁欲的な修行とは異なるものです。むしろ、生活における意識の持ち方のことであって、神のいのちの性質に即した生き方のことです。使徒パウロは、神の人が追求すべきことがらを並べることで、信仰の意味を示しています。『しかし、神の人よ。…正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい(1テモテ6:11)』。私たちの新生の日には、『主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(2ペテロ1:3)』。
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