2015年2月8日日曜日

2月8日

主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです[2ペテロ1:3]

聖書には、『事実』という言葉はでてきませんが、神の言葉の中に数々の成された事実を見つけることができます。神の約束について言えば、それが実現されない可能性もあります。私たちがお願いしなかったり、そのための条件を満たさない場合です。しかし、神の事実は、私たちがお願いしないからという理由で、実現されないことは決してありません。これはすでに事実ですから、お願いする必要はないのです。神は、ご自身の事実を受けるために、特別なことを要求されることは決してありません。ただそれを信じればよいだけです。信じれば受けることができます。神の約束は遅くなることはあるかもしれませんが、神の事実は決して、足止めされることはありません。神の事実を受け入れたのに、それが与えられるまで何年も待つことは有り得ません。何であれ、神がすでに成し遂げられ、キリストにおいて私たちに与えられながら、それを未来まで引き伸ばすことは絶対にありません。神がそれを与えることをためらうなら、それは事実に相反することになるからです。

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